過去の号泣会見で話題になった野々村竜太郎さんが2024年2月から恋愛相談サービスを始めました。
野々村さんの言動や行動などが注目されますが、一体どのような生い立ちだったのでしょうか。
また、「発作マン」と呼ばれていた真相についても、まとめました。
野々村竜太郎が恋愛相談サービスを開始
野々村竜太郎さんが恋愛相談サービスを始めたことをX(旧Twitter)で報告しました。
野々村竜太郎さんが2024年2月から『ココナラ』というネット上で“自分のスキルを売り買いする”サービスを始めました。
悩みや愚痴の聞き役をしているそうです。
悩みを打ち明けるなら1万5000円。
ネット被害の相談や、恋愛相談にいたっては5万円で相談に乗るなど、強気な価格設定で募集をかけているそうです。
説明文には《世界的に有名人の私が、あなたのどんな悩みでも受け止めます!》とも書かれています。
野々村さんはアプリ上でも『野々村竜太郎の恋ばなチャンネル』と題した恋愛トークラジオを始めていて、
恋人との距離を詰めるためのテクニックなどを話しています。
相談を聞いたりするのが好きなのでしょうか・・・。
野々村竜太郎の家族構成
まずは野々村さんの家族構成を見てきましょう!
父親
母親
兄弟 4人
6人家族です。
野々村さんは末っ子だそうですが、週刊新潮の報道では長男とされていて実際のところは分かっていません。
父親
父親は阪急電鉄の事務員で体が弱く、病気がちな人のようです。
議員になる方の両親は政治家など関連した仕事をしている人が多いですが、野々村さんの父親は一般の方なので詳しい情報は明らかになっていませんでした。
母親
お母さんは専業主婦で教育方針は「うちの子はお坊ちゃんみたいに育てる」だったそうです。
母親は日本舞踊を習っていて、母親の帰りをドアの前で待っていたそうです。
また、お坊ちゃんとしての教育方針から、子供の頃から革靴を履き学校のクリスマス会には一人だけスーツを着て
七三分けのヘアスタイルで参加させていました。
「お坊ちゃんにしたい」というこだわりが強かったのでしょう。
野々村竜太郎の生い立ちがすごい!
野々村さんの生い立ちが気になります!
どのような環境で育ったのか調査したところ、母親の存在が野々村さんに大きく影響しているのではないかということが分かりました。
お坊ちゃんのように育てられ甘やかされた結果、野々村さんはマザコンになったと言われています。
母親は何かあると学校に乗り込んでは号泣してわめいていたそうです…。
これを聞くと2014年7月の「号泣釈明会見」を思い出しますよね。
また、議員になってからも議会に母親は頻繁に登場します。
本会議の際に「今日はお母さんが来るのでちゃんと傍聴席に案内して」と職員に指示。
先輩県議が県のイベント会場で「この後みんなでお茶でもしながら情報交換しましょう」と誘われても
「母が来ているので一緒に帰ります」と帰るなどマザコンぶりが凄かったのです。
小さい頃から母親に甘やかされて守られてきたことで、大人になっても常識外れの行動をとってしまうのかもしれないですね。
野々村さんの生い立ちは母親の影響が強いということが分かりました。
野々村竜太郎は発作マンと呼ばれていた理由は?
野々村さんは中学時代、自分の言い分が通らないと駄々をこねてキレる性格だったそうです。
そのことから同級生がつけたあだ名が「発作マン」だったそうです。
議員になってからも、電話の最初は穏やかに話しているのに、ある時点からスイッチが入り大声で怒鳴り出すこともあったそうです。
周囲からはキレるポイントがよく分からない。と言われていました。
自身の感情をうまくコントロールできないようで、話題になった号泣会見の際は緊張した様子で『落ち着いて、落ち着いて』と何度も独り言を言っていました。
母親からのプレッシャーや依存が発作と関係しているのかもしれないですね。
まとめ
野々村さんの生い立ちには母親の影響が強いことが分かりました。
また、中学生のときのあだ名は「発作マン」で号泣会見もその傾向が見受けられました。
自分の感情をうまくコントールできないのも生い立ちが関係しているのではないでしょうか。
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